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神風特別攻撃隊とは 映画撮影体験 パンフ表

大正11年7月24日、九州、佐賀、に生まれ、
野球少年に成長、名門・佐賀商業野球部で鳴らした。

昭和16年職業野球の名古屋軍(現中日ドラゴンズ)に入団、
昭和17年〜18年には、エ−スピッチャ−としてマウンドに上がり、
戦中最後のノ−ヒットノ−ランの記録を含む
37勝防御率1.44の成績をあげた。

しかし太平洋戦争の激化にともない、学徒出陣で応紹、
神風特別攻撃隊に編成され「死の突撃」飛行訓練を積む。

昭和20年5月11日、出撃の朝、
戦友の本田耕一と最後のキャッチボ−ル。
朝もやを切り裂き、炎の投球が唸りをあげる。
「ストライク」
「ストライク」
この日、進一の投げた球はすべてがストライクだった。

その直後、名投手・石丸進一は
ゼロ戦に搭乗して沖縄の空へ向けて飛び立った。
野球への夢は二十四歳の若さで消えた。

この映画は、戦争という時代、それでも野球を愛してやまなかった
若者の白球にこめた平和を願う魂のメッセ−ジである。

過去50数年前に本来自分の人生を自由に、飛躍出来る翼を持ちながら祖国日本を守るため、 翼を失った多くの若者がいました。戦争の無かった現在までの平和繁栄日本はこの方々の犠牲の上に築かれています。 松坂大輔のような凄い投手、石丸進一が祖国を守るために、アメリカとの戦争で南海に散っていきました。 自ら犠牲のかわりに希望したもの、後輩に自分達の生きられなかった分、精一杯自分の翼で生ききって欲しい・・・。 太平洋戦争・前線・貴重証言




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